何が起こっているのでしょうか
エジプトでファラオがイスラエルを支配する姿は、エデンでサタンがアダムとイブを支配した姿と重なります。あの蛇と同じように、ファラオは自分自身と自分の王国を、神に対抗する神々として立てているのです。ファラオは自らを神々の子、そして世界の支配者と見なしていました。しかしイスラエルの神は、一連の奇跡のしるしを通して、ファラオとエジプトの神々を打ち負かし、ご自分の民を救い出そうとしておられます(出エジプト記 7:3〜5)。
エジプトの神であるファラオは、どちらの神がより力ある奇跡を行えるかを競おうと、モーセの神に挑みます。蛇のようなファラオに対する神の力を代表する祭司として、アロンは杖を蛇に変えます(出エジプト記 7:8〜10)。ファラオも反撃します。彼の異教の祭司たちが、自分たちの神々の力によって蛇を出現させたのです。しかしエジプトの神々は、イスラエルの神の相手ではありません。アロンの蛇が、異教の祭司たちの蛇を飲み込んでしまいます(出エジプト記 7:11〜12)。これは、神がまさにファラオを飲み込み、その神々に恥を負わせようとしておられるしるしでした。それでもファラオは、自分が挑んだ勝負の結果を認めず、モーセにもアロンにも、その神にも聞こうとしません(出エジプト記 7:13〜14)。そこで神は、一連の奇跡のしるしを通してご自分の力を示し続けられます。
第一に、神はナイル川を血に変えられます。エジプトにいのちをもたらす源として、ナイル川は神として賛美されていました。しかしこの神は、その水に沈められたイスラエル人の子どもたちのいのちを食らってきたのです。アロンが杖でナイル川を打つと、その水は殺されたかのように血に変わります(出エジプト記 7:14〜21)。かつていのちを与えていたものが、今は死をもたらすのです。ファラオの異教の祭司たちもこのしるしを真似て、わずかに残った水までも血に変えてしまいます(出エジプト記 7:22)。
第二に、神はかえるを送り、地を覆わせられます(出エジプト記 8:1〜6)。かえるは出産を助ける豊穣の女神のかたちとして賛美されていました。ファラオはイスラエル人が増え広がって自分の国土を覆い尽くすことを恐れ、助産婦たちに命じて、生まれたばかりのヘブライ人の男の子を殺させようとしました(出エジプト記 1:15〜16)。ファラオはいのちと死を自分が支配していると信じていたのです。しかし今、かえるが抑えようもなく増え広がり、彼が恐れていたそのままの形で国土を覆っていきます。豊穣を司るはずの女神は、神がいのちによってエジプトを征服されるのを止めることができません。それでもまたファラオの祭司たちは同じしるしを真似て、さらに多くのかえるを呼び出し、自分たちの神であるファラオを覆い尽くしてしまいます(出エジプト記 8:7)。
第三のしるしで、神は地のちりをぶよに変えられます(出エジプト記 8:16〜17)。初めに、神はちりからアダムを形造られました(創世記 2:7)。蛇がアダムを征服したとき、神は人がちりに帰ると宣言され、そのちりを蛇が食べることになりました(創世記 3:14、19)。ちりは死の領域となったのです。しかし神はアブラハムに、その子孫が地のちりのように数えきれないほど多くなると約束されました(創世記 13:16)。それはまさに、ファラオが恐れ、イスラエルの子どもたちを殺すことで防ごうとした増え広がりでした。今、神は死んだ地のちりを、群がるいのちへと変えられます。このときファラオの祭司たちは敗北を認め、イスラエルの神が自分たちの神々より強いと告白します(出エジプト記 8:18〜19)。
それでも、ファラオの心は頑なままです(出エジプト記 8:15、19)。ファラオたちは、自分に何の過ちもないと言い張らなければ、死後の世界で神々に受け入れられないと信じていました。ですからファラオは自分の罪も、イスラエルの神も認めようとせず、頑なな心こそが自分の神としての力の証しだと思い込んでいたのです。
さらに六つのしるしを通して、神はエジプトと世界がまことに誰のものであるかを示し続けられます。これらのしるしは、創造の六日間を逆にたどるようにして、エジプトを「創造の逆戻り」へと引き渡します。あぶが地を荒らします。家畜の疫病と皮膚のはれものが、動物と人を打ちます。雹が天と地の境目を崩します。いなごが、かつていのちを支えていた植物を食い尽くします。暗闇が光に取って代わります。エジプトは混沌へと戻され、全地が神のものであることが、ファラオと諸国に示されるのです。
それと同時に、神はゴシェンに、ご自分の民のための安全な避け所を造られます。すべての人に及んだ初めのしるしとは違い、これらのしるしはエジプトだけを「創造の逆戻り」へと引き渡します。神は混沌といのち、暗闇と光、ファラオの民とご自分の民との間に、はっきりと隔てを設けられるのです。ファラオ自身も調べさせ、ゴシェンが免れていることを知ります。それでも彼はイスラエルを去らせようとしません。
これらのしるしの間、ファラオは揺れ動きます。ときには神を恐れ、災いを取り去るようモーセに祈りを求めます。神はそれに応え、「創造の逆戻り」がもたらす混沌を取り除いてくださいます。しかし一時は降参しても、そのたびにファラオはまた心を頑なにします。それでも、エジプト人の中には神を恐れ始める者たちがいました。雹が来ると警告されたとき、彼らはモーセのことばに従い、隠れ家を見いだします。神に聞き従うことによって、混沌の真ん中にあっても安全な避け所に入れられたのです。
福音はどこにあるのでしょうか
すべての人は、蛇の支配する死の王国のもとに置かれています(ローマ人への手紙 8:20〜21)。しかし神は、モーセとアロンを通してそうされたように、ご自分がどんな対抗する王国よりも、どんな偽の神よりも、そして死そのものよりも強いことを、頑なな心に示そうと固く心に決めておられます。
イエスはモーセとアロンのように来られ、しるしと不思議を行われました(使徒の働き 2:22)。その最初の奇跡は、エジプトでの最初のしるしと重なります。アロンが水を血に変えたように、イエスは水をぶどう酒に変え(ヨハネの福音書 2:9)、ご自分がいのちを与えるイスラエルの神であることを明らかにされました。その働きの全体を通して、イエスは対抗する諸勢力に立ち向かわれました。死者を生き返らせ(マルコの福音書 5:41〜42)、悪霊の砦を圧倒し(マルコの福音書 5:2〜13)、ご自分がまことの神の子であり、世界の支配者であることを繰り返し証しされたのです。
イエスはこの世の支配者たちや神々に対する権威を示されただけでなく、彼らを征服されました(コリント人への手紙Ⅰ 15:23〜27)。ファラオが神の民を水に沈めてその未来を消し去れると信じたように、サタンと頑なな心は、十字架の上でイエスを打ち負かせると信じていました。しかしアロンの杖がエジプトの神々に致命的な一撃を与えたように、イエスの死は死そのものに致命的な傷を与えたのです(使徒の働き 2:23〜24)。死という蛇は、イエスのいのちに飲み込まれました。
いのちがナイル川からあふれ出てファラオの地を圧倒したように、イエスのいのちは死んだ墓からよみがえり、サタンの死の領域を圧倒しました。復活によってイエスは、光を暗闇から、いのちを死から分け、死そのものでさえ「創造の逆戻り」へと引き渡すことのできない安全な避け所を造ってくださったのです。
イエスはこの救いを、契約の犠牲によって確かなものとされました。私たちが神のものであるのは、神が私たちを造られたからだけではなく、イエスがご自分の血によって、私たちが神に属することを確かに保証してくださったからです。そして神のみわざは、まだ終わっていません。今この時も神は、世界に対して、ご自分を恐れ、聞き従い、イエスが造られた安全な避け所を隠れ家とする機会を与え続けておられます。
いつの日か、イエスは最後のしるしを行われます。サタンと死を永遠に「創造の逆戻り」へと引き渡されるのです。あらゆる奴隷状態、抑圧、苦しみを覆し、全地をエデンに、全宇宙をゴシェンに変え、契約の民をご自身の御前という安全な避け所へと、永遠に迎え入れてくださいます。
自分の目で確かめてみましょう
聖霊が目を開いてくださり、ほかのすべての神々にまさる神を見ることができますように。そして、ご自分のいのちによって死を飲み込み、墓を「創造の逆戻り」へと引き渡して、私たちをご自身とともにあるいのちの安全な避け所へと導き入れてくださったお方として、イエスを仰ぐことができますように。

