何が起こっているのでしょうか
モーセはシナイ山で四十日近くも神と語り合っていました(出エジプト記 31:18)。その間、神はご自分の民とともに住みたいという願いを、はっきりと示してこられました。ここ数週間にわたって、神はモーセに幕屋の詳細な設計図をお与えになりました。かつてエデンでアダムとイブとともに住まわれたように、神はこの小さな天幕でイスラエルとともに住まわれるのです。そこは、遠い昔に引き離されてしまった神と人が、ついに再びともに住む場所となります。神が七日間で世界を創造されたように、幕屋についての指示も七回の語りかけを通して与えられました(出エジプト記 25:1、30:11、17、22、34、31:1、12)。幕屋は、エデンの園で失われた関係が神によって回復され、神が再びご自分の民とともに住まわれる場所となるのです。
30章では、神の新しいエデンに最初に備えるべきものがイスラエルに告げられます。香、それを焚く祭壇、洗いのための洗盤、そして聖なる油です。香の祭壇は神のご臨在のすぐ外側に置かれ、金で覆われます。一方、洗いのための洗盤は外庭に置かれ、青銅で作られます(出エジプト記 30:1〜6、17〜21)。さらに神は、幕屋で用いる聖なる油と香の作り方についても指示をお与えになります(出エジプト記 30:22〜38)。貴金属、珍しい香料、豊かな油——それらはすべて、神がご自分の民の間に住んでおられたときのエデンの豊かさと、その関係の深い味わいを、神の民に思い起こさせるためのものでした。
イスラエルの成人はみな、半シェケルの税によって幕屋とその備品、そして祭司たちを支えるように命じられます。この税は必要な修理や備品の費用に充てられるだけでなく、神は彼らのいのちの贖い(あがない)となる、とも言われます(出エジプト記 30:11〜16)。贖い(あがない)とは、神とともに住むことのできなかった者や物が、今はそれができるようになる、ということです。この贖い(あがない)の税が語っているのは、神の民がエデンのような神のご臨在に入るためには、代価が支払われなければならないということです。香の祭壇さえ、年に一度、贖い(あがない)を受けなければなりません(出エジプト記 30:10)。人々がエデンに入るために備えられる必要があるだけでなく、神がそこに住まわれるためには、その場所自体も代価を払って整えられなければならないのです。実際、神がご自分の民と会うと言われるその場所は、「贖い(あがない)のふた」の上でした(出エジプト記 30:6)。結局のところ、神に近づく道は、代価が支払われることによって開かれるのです。
そして、神が世界に秩序をもたらすためにエデンの園にふたりの人を置かれたように、神はご自分のエデンの天幕を建てるためにふたりの職人を任命されます(出エジプト記 31:1〜11)。彼らは、その創造的な務めのために神の霊に満たされました。それは、最初の人がその務めのために神の霊に満たされたのと同じです(創世記 1:1〜2、2:7)。こうして、すべての設計が伝えられ、選ばれた祭司と職人が定められると、神はイスラエルに休むこと、すなわち安息日を守ることを呼びかけられます。それは、神が世界を創造された後にそうされたのと同じです(出エジプト記 31:12〜18)。しかし神の民は、ただ真似をして休むのではなく、贖い(あがない)、備え、そしてエデンのようなご臨在へと導き入れるために必要なすべてを神が備えてくださったという信仰のうちに休むべきなのです(出エジプト記 31:13)。
福音はどこにあるのでしょうか
神は幕屋において、イスラエルのために新しいエデンを設計されました。その天幕で天が地と出会い、新しい創造が始まり、神が民の間に住まわれるのです。そして贖い(あがない)の行為を通して、イスラエルのだれもが神の創造の力と神の安息を味わうことができました。けれども、イスラエルの幕屋は原型にすぎませんでした。それは、神ご自身が、イエスにおいてご自分の民の間に幕屋を張られるその日に向けて、神の民を備えるものだったのです(ヨハネの福音書 1:1〜14)。
イエスにおいて、神と人はともに住みます。イエスにおいて、神と人との関係は回復されます。霊がアダムに吹き込まれ、後に幕屋の職人たちを満たしたように、いのちを与える神の創造の力がイエスを満たしています。イエスは行かれるところどこでも、安息と安らぎ、癒し、そしてエデンのような豊かさをもたらしてくださいます(ヨハネの福音書 6:12〜13、ヨハネの福音書 9:6〜7)。あの職人たちのように、イエスは地上に新しいエデンを建てておられるのです。
けれども、モーセの幕屋が贖い(あがない)の税によって建てられたように、イエスの新しいエデンもそうでした(ヨハネの手紙Ⅰ 2:2)。イエスは、幕屋の備品をきよめ、備えた動物たちのように死んでくださいました。その死を通して、ご自分のご臨在を受け入れるために地を整えてくださったのです。さらに、私たちが神の新しいエデンに生きることができるように、イエスのいのちそのものが「税」として支払われました(ローマ人への手紙 6:1〜5)。しかも、イエスの新しい幕屋は建物の中にあるのではなく、イエスご自身の中に、そしてイエスが変えてくださる人々の中にあります(コリント人への手紙Ⅰ 6:19)。もはや天が地と出会う場所は、イスラエルにある一つの天幕ではありません。贖い(あがない)、備え、そしてエデンのようなご臨在へと導き入れるために必要なすべてを神が備えてくださったと信頼する人、そのすべての人の中でこそ、天と地は出会うのです。
ご自分の目で確かめてみましょう
聖霊が目を開いてくださり、ご自分の民とともに住むことを願われる神を見ることができますように。そして、私たちのうちに新しい幕屋を造ってくださった方として、イエスを見ることができますように。

