何が起こっているのでしょうか
神はエジプトの奴隷状態からイスラエルを救い出されたばかりで、これから彼らを、神に信頼し、この世界で神の国として生きる民へと育てようとしておられます。しかし、イスラエルが敵と戦ったり同盟を結んだりする前に、神はもっと基本的なことを教えなければなりませんでした。それは、神が必ず必要を満たしてくださるということです。
紅海を渡ってからわずか三日後、イスラエルは水を切らしてしまいます。神の民は不満をつぶやき始め、そもそも神は自分たちを顧みるつもりがあるのかと疑います(出エジプト記 15:22〜24)。モーセが神に叫び求めると、神は水を与えてくださいました。そして神は、こうした出来事が偶然ではなく試みであることを説き明かされます。それを通して神は、どんなに切迫した状況にあっても神の備えに信頼するよう、イスラエルを訓練されるのです。神はイスラエルの必要を満たすと約束し、必要なときには信頼へと導くために懲らしめると告げられます(出エジプト記 15:25〜26)。そしてすぐに、水があふれるオアシスへ彼らを導き、ご自身の誠実さを示されました(出エジプト記 15:27)。
それから一か月ほど後、イスラエルはオアシスを出発し、再び生き延びられるかと恐れます。今度は飢えのためでした(出エジプト記 16:1〜3)。神は次の試みを告げられます。毎朝パンを、毎夕うずらを与えるが、どの家族も一日分以上を集めてはならない、と(出エジプト記 16:4〜5)。モーセはイスラエルに、神が彼らの不満を聞いておられること、そして飢えが神への不信につながってはならないことを警告します(出エジプト記 16:6〜12)。神は、毎朝新たに備えてくださる方だと信頼することを、彼らに教えようとしておられるのです。
神は夜にうずらを、朝にパンを送られ、民はそれを食べました(出エジプト記 16:13〜18)。ところが、この試みに失敗する者もいました。翌日は備えがないのではと恐れ、残りを夜通し取っておいたのです。すると神が警告されたとおり、パンは虫だらけになりました(出エジプト記 16:19〜20)。それでも神は、その後の五日間も日ごとのパンを与え続けられます。
次にモーセは、第二の試みを告げます。七日目は安息日の休みとなり、その日は食べ物が送られないので、六日目に二日分を集めなければなりません。余分に集めた分は腐らないと神は約束されます(出エジプト記 16:21〜25)。ここでも神に信頼できず、安息日に食べ物を集めようとする者がいました(出エジプト記 16:27)。モーセは忍耐深く彼らを正し、休むこと自体が信頼の行為であることをイスラエルに思い起こさせます(出エジプト記 16:28〜30)。
第三の試みが続きます。神はイスラエルを、飲める水のない宿営地へと導かれました。今度は民は、つぶやくのではなく、すぐに水を出さなければモーセを石打ちにすると言って、暴力をふるうと脅します(出エジプト記 17:1〜4)。それでも神は恵みをもってお応えになります。モーセに岩を打つよう命じられ、荒野に水が豊かに流れ出たのです(出エジプト記 17:5〜7)。彼らが失敗しても、神は変わらず備えてくださる方だと信頼するよう、イスラエルを訓練し続けられます。
この試みの直後、イスラエルは民族として初めて外からの脅威に直面します。荒野でまだ無防備な彼らを、アマレカイ人が襲ったのです(出エジプト記 17:8)。モーセは民を戦いに立たせ、自分は丘の上で手を上げて祈ると約束します。モーセが祈っている間はイスラエルが優勢になり、手を下ろすとアマレクが優勢になりました。腕を支えてくれる人たちの助けを得て、モーセは手を上げ続け、イスラエルは民族として最初の戦いに勝利します(出エジプト記 17:9〜13)。そして神は、アマレクといつまでも戦い続けると約束し、イスラエルと戦う者は神ご自身と戦うことになると宣言されました(出エジプト記 17:14〜16)。
しかし、すべての国民がイスラエルに敵対したわけではありません。神の勝利の知らせはミデヤンにも届きました。モーセのしゅうとであり、ミデヤンの祭司であり代表でもあるイテロが、荒野にイスラエルを訪ねて来ます(出エジプト記 18:1〜6)。イテロは攻撃するどころか、神のなさったことを喜び祝いました。イスラエルの救いを喜び、神に犠牲をささげ、モーセとイスラエルの長老たちと共に食事にあずかります(出エジプト記 18:7〜12)。さらにイテロは、大きくなっていく民をどう治めるかについてモーセに知恵ある助言を与え、イスラエルで最初の正義を行うための仕組みを整える助けをしました(出エジプト記 18:13〜27)。同盟者として、イスラエルとミデヤンは神が築いておられるわざに共にあずかったのです。
福音はどこにあるのでしょうか
神は、必要なものすべてを必ず備えてくださる方だと、ご自身の民に知ってほしいと願っておられます。神はイスラエルを奴隷状態から救い出し、敵を打ち破り、雲と火をもって導き、日ごとに養われました。彼らが何度も試みに失敗し、恐れや怒りで応じたときでさえ、そうしてくださったのです。
この無条件の備えは、イエスにおいて最も豊かに現されました。イエスははっきりとご自身をこれら荒野の物語に結びつけ、自らをいのちのパンと呼び、生ける水の源だと語られます(ヨハネの福音書 6:32〜35、ヨハネの福音書 4:10〜26)。イスラエルはパンを食べ水を飲んでも、また飢え渇きました。しかしイエスは、完全に満たす備えを約束してくださいます。イエスは弟子たちに、日ごとの糧を求めて祈り、毎日新たに神の備えに信頼するよう教えられました(マタイの福音書 6:11)。
またイエスは、神の国が世界に前進していくというイスラエルの物語を成就されます。先に歩んだアブラム、モーセ、そしてイスラエルと同じように、イエスも敵対する勢力からの反対に直面されました。しかしイエスは地上の国々と戦うのではなく、人類の最も根深い敵、すなわちサタンと死に向かって戦いを挑まれたのです。その死と復活によって、イエスは暗闇の力を武装解除し、勝利者として現れました(コロサイ人への手紙 2:15)。
荒野で打たれた岩のように、イエスも打たれ、そこからいのちが流れ出ました(ヨハネの福音書 19:34、コリント人への手紙Ⅰ 10:2〜4)。祈りのうちに手を上げたモーセのように、イエスもご自身の民のために執り成し、力によらず誠実によって勝利を勝ち取られました。死からよみがえった後、イエスは王として、また世界の最高の裁き主として天に上げられ、その権威を弟子たちに委ねられました(マタイの福音書 28:16〜20)。
今も、出エジプト記の時と同じように、諸国の民はどう応えるかを決めなければなりません。イテロのように喜び、神のわざに自分を合わせ、神の国の同盟者となる者もいるでしょう。アマレクのように抵抗し、戦う者もいるでしょう。神の国はイエスにおいて到来しました。そして私たち一人一人が、どう応えるかを選ぶのです。
ご自身の目で確かめてみましょう
誠実に備えてくださり、古くからの約束を守り通される神を見る目が、聖霊によって開かれますようにと祈ります。そして、私たちに必要なすべてを与え、ご自身の国の同盟者となるよう招いておられる方として、イエスを見ることができますように。

