何が起こっているのでしょうか
民数記では、古い世代に告げられた死と、若い世代に約束された相続という二つの主題が、次第に高まりながら重なり合ってきました。
そしてこの箇所で、いよいよ世代交代が起こります。古い世代から新しい世代へと、バトンが渡されていくのです。
この世代交代の最初の場面で、イスラエルは他の民族と結婚し、彼らの偽の神を賛美していました(25:3)。民数記の他の箇所と同じように、神からの疫病が発生し、次々といのちが奪われていきます。
年老いたモーセに代わって、アロンの孫ピネハスがその責任を自ら負いました。罪を犯した者たちを打ち殺し、疫病は終わります(25:8)。しかしそれまでの間に、疫病は古い世代の最後の者たちのいのちを奪いました。彼らはみな荒野で死ぬという神の約束が、こうして実現したのです。
続く場面は、この書の冒頭と重なり合います。もう一度人口調査が行われますが、今回は荒野で育った若い世代が対象です。約束の地に入り、そこに住む者たちを追い出すという務めは、この世代に委ねられました。
この新しい世代への約束はあまりにも確かなので、神は彼らがまだ地に入る前に、人口調査を用いて土地の割り当てを行われます(26:52)。言うなれば、卵がかえる前にひなの数を数えよと、神ご自身が命じておられるのです。
この世代交代の最後の場面は、モーセが自分の後継者としてヨシュアを任命するところです(27:18)。民を約束の地へ導き入れるのは、モーセではなくヨシュアでした。
しかしヨシュアも、イスラエルにとっても世界にとっても、最終的な答えではありませんでした。聖書全体を通して、古い指導者の失敗のゆえに、新しい指導者が繰り返し立てられていきます。前の世代が実現できなかった神の約束を、新しい世代が自らのものとして担っていくのです。
福音はどこにあるのでしょうか
この繰り返しは、イエスが新しい、そして最後の指導者として立てられるまで終わりません。イエスを任命したのは人ではなく、神ご自身でした(マタイの福音書 3:17)。ピネハスのように、イエスは私たちの不従順によって人類に広がった死という疫病に終わりをもたらされました(テモテへの手紙第二 1:10)。けれどもピネハスとは違い、イエスは罪ある者に槍を向けて死を止めたのではありません。ご自身が疫病の中へ入って行かれたのです。私たちの罪が引き起こした荒廃の中へ踏み込み、死がご自分を打つことを許され、そうすることで死の力を尽き果てさせてくださいました。疫病がご自分の上に降りかかるのを受け入れることによって、イエスは死の支配から私たちを解き放ち、実際に約束を受け継ぐ新しい人類の最初の方となられたのです。
そしてイエスがご自身において死に打ち勝たれたからこそ、私たちは今、神が与えうる最も確かで、最も裏づけられた約束を持っています。イエスに信頼する者はみな、新しい、そして最後の約束の地——神が私たちとともに永遠に住まわれる新しい天と新しい地(ヨハネの黙示録 21:3)——に入る世代に属しているのです。それはあまりに確かなことですから、ヨルダン川を渡る前に部族を数えたイスラエルのように、私たちも卵がかえる前にひなの数を数え始めてよいのです。イエスはすでに私たちに先立って行き、ともに住む場所を用意しておられます(ヨハネの福音書 14:3)。境界を定め、私たちの受ける分を確保し、必ず私たちをその相続地へと導き入れてくださいます。
自分の目で確かめてみましょう
私たちが絶えず背き続けても、世代から世代へと誠実であり続けてくださる神を見る目を、聖霊が開いてくださるよう祈ります。そして、すべての信じる者から成る最後の世代が、ただ一度限りでご自身の御前に入る道を開いてくださった究極の誠実な方、イエスを見ることができますように。

