何が起こっているのでしょうか
ここは民数記全体の頂点となる中心部分です。ところが不思議なことに、モーセもアロンも、イスラエルの誰一人として能動的な役割を担っていません。焦点が置かれているのは、報酬次第で預言する雇われ預言者、異教の名高い占い師バラムなのです。
この時点でイスラエルは、約束の地と国境を接するモアブの外に宿営を張っていました(22:1)。
モアブの王は、イスラエルのこれまでの歩みに恐れをいだきます。彼らはエジプトを脱出し、自分の国境へと向かう道中で次々と町を征服してきたのです。そこで王は、イスラエルを呪わせるために預言者バラムを雇います。実際の戦いで勝てないのなら、霊的な呪いによって、勝利に必要な優位を得られるかもしれないと考えたのでしょう(22:6)。
王がバラムに求めた願いは、本人が気づかないうちに皮肉なものとなっていました。この預言者がイスラエルを呪えば、彼らは呪われると王は信じていたのです。なぜ皮肉なのでしょうか。それは、神がアブラハムとその子孫に与えられた約束がまさにこれだったからです。彼らを祝福する者は祝福され、彼らを呪う者は呪われる(創世記 12:3)。イスラエルはすでに祝福された民であり、それを変えることは誰にもできませんでした(23:20)。
しかし、バラムがイスラエルを呪おうとするたびに、神はバラムの口にみことばを置かれ、彼はイスラエルを祝福することしかできず、決して呪うことができませんでした(23:8)。王がどれほど賄賂を積み、力で脅しても、バラムは何度もイスラエルを祝福するのです。
神から与えられたバラムの預言的な祝福には、神の約束の再確認が含まれています。イスラエルは数えきれないほどの民となる(23:10)。イスラエルは敵を征服し、その地を受け継ぐ(24:8)。
しかし、それらすべてに勝る一つの約束があります。この約束は、バラムが前兆を探ったり、他の異教の儀式を行ったりすることとは無関係に与えられました。彼が聖霊に満たされたときに与えられたのです。
バラムは、神ご自身が天国から下って来られ、約束を成し遂げ、敵を征服される幻を見ます(24:16)。しかし彼は、この幻は遠い先のことだと語ります(24:17)。すぐには実現しません。そして、下って来られるこの神は、雲の中からではなく、なんとイスラエル自身から出て来られるというのです(24:17)。
イスラエルのすべての希望は、イスラエルから出て来られるこの神なる人にかかっているのです。
福音はどこにあるのでしょうか
この救い出してくださる方こそ、ほかならぬイエスです。バラムが王として描き、星、また杖と呼んだ、ヤコブの家系から出られる方なのです(ヨハネの黙示録 2:27〜28)。
私たちが気づかないうちに、私たちを呪い、滅ぼそうとする力が働いていることがあります。しかし、イエスが私たちのところに来てくださったからこそ、そして罪と死という真の敵との戦いにイエスがすでに勝利してくださったからこそ、さらにイエスが私たちを最終的な約束の地へ導き入れるために再び来られるからこそ、どんな敵も私たちを妨げることはできません。
イエスが私たちを祝福された者と呼んでくださるなら、誰も、何も、私たちを呪われた者にすることはできません(ローマ人への手紙 8:31)。私たちの罪や失敗も、家族の一員も、王も、宗教的な権威者も、それはできないのです。イエスが祝福する者は、祝福されているのです。
ご自身の目で確かめてみましょう
聖霊がバラムの目を開いてくださったように、あなたの目も開いてくださり、イエス・キリストにおいて私たちを豊かに祝福してくださった神を見ることができるよう、祈っています。

